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明智光秀の特別展

 亀岡市文化資料館で「丹波決戦と本能寺の変」という特別展が開催されています。今年の1月に光秀の丹波進攻を中心とした展示があり、今回は、その後、本能寺の変を中心とした当時の光秀の動向が、多くの書状(複製含む)史料とともに展示されておりました。アメリカでも日本でも、時のトップに立つ人の政治方針が、世の中を左右するものです。今から450年前の、この亀岡の地においても、国を如何に治めるか、という事で領主のせめぎあいがあったのです。立派な図録には光秀研究の第一人者、三重大の藤田先生による特別寄稿が収録されております。しっかり理解できたかわかりませんが、単純にトップの政治方針を言い換えるなら、信長と秀吉は、破壊と支配によって国を拡大し、光秀(おそらく論文には書かれていませんが後の家康も)は、和睦、法律によって国を治めるタイプであったと思われ、その狭間で本能寺の変が起こった、と言われているようです。信長が光秀を足蹴にした恨み等々、本能寺の変の原因を推測する説は多々ありますが、昨今の新史料の発見などによって、逆臣とされた明智光秀のリアルな歴史的側面が垣間見られる展示会でした。なお近辺にあって普段は入れない大本教内、亀山城の天守閣跡(実際の場所とは少し位置が違います)が現在特別に公開されています。この場所から東方を見ると、保津峡の山々、その向こうには京の都、本能寺があったのだと感じます。大本さんの木々も紅葉しておりました。